青木仁峯
1846-1929
青木家と尺八のルーツは、青木仁峯に由来します。
青木仁峯は、京都仁和寺で書記をしていた時に同僚から尺八を習ったそうです。明治維新の混乱で横浜に居を移し、尺八指南道場開きました。主として本曲を教えましたが、「越後獅子の先生」と呼ばれたほどで、横浜の箏曲界で知られていました。あの山口四郎にも尺八を教えたそうです。
初代 青木鈴慕
1890-1955
初代青木鈴慕( 本名は誠造)は仁峯の四男で、尺八の手ほどきを兄聡次と共に、父仁峯に受けました。琴古流本曲は、二代荒木古童の高弟三浦琴童に師事し、外曲は初代川瀬順輔のもと客分扱いで、川瀬里子との合奏で師事したそうです。また弘前出身の永野旭影より、根笹派錦風流全曲を習い、琴古流の楽譜に書き昭和12年(1937)に出版しました。
明治42年(1909)に兄聡次と共に鈴慕会を組織し、関東大震災の翌年大正13年(1924)に、新宿成子坂下に青木楽器店を開き、教授活動と製管を再開しました。昭和2年に鈴慕を名乗ります。つまり「鈴慕」は会名が先だったのですね。
初代のスローガンとして「芸術向上以外に何物もないので、多くの会員を望まない」「演奏会に出す曲は60回以上の練習」などが伝えられています。
二代 青木鈴慕
1935-2018
二代青木鈴慕(本名は静夫)は初代鈴慕の六男で、尺八の手ほどきを父初代鈴慕に受けました。琴古流本曲、外曲とも初代鈴慕に師事し、一部の尺八古典本曲は、鈴木多聞に習ったそうです。昭和39年に「尺八三本会」を、横山勝也、山本邦山(初代)と共に結成し、尺八の大ブームを巻き起こします。昭和50年(1975)二代青木鈴慕を襲名します。と言うことは、初代鈴慕が亡くなった昭和30年(1955)から20年間、「鈴慕」の名は継がれていませんでした。二代青木鈴慕は誰もが認めた名人で、数々の賞を受賞し、平成11年(1999)に重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定されました。二代鈴慕は多趣味で、競馬、盆栽、鯉、ランチュウ、秋田犬、スキー、ゴルフ、野球、車、カラオケなどが挙げられます。二代鈴慕の語録は挙げたらきりがないほどです。「お茶は断ってますので(弟子が練習後にお茶を出された時の一言)」「尺八はまっすぐ構える(本人は?)」
などなど。
三代 青木鈴慕
1965-
青木滉一郎
1994-
青木滉一郎は三代鈴慕長男で、本曲外曲共に祖父二代鈴慕・父三代鈴慕に師事。
平成30年(2018)東京藝術大学音楽学部邦楽科修士課程を修了。平成28年(2016)より
和楽器アンサンブル「真秀」(まほら)で活動中です。ジャンルを問わず音楽、映画が好きで、将棋にはまってます。